2020年10月3日土曜日

子どもたちの世界

  私たちの社会は、これから育ってくる子どもたちから借金をして使い込んでいる。自然環境から得る熱資源(エネルギ-)は勿論のこと、人の心の財産である風光明媚な癒しなどを含めて、今考えられるすべての正の財産は子どもたちのものであるし、子孫のものである。いわば子どもたちのための社会を作り上げなければならないのに、目先のことにばかり労力を費やしている気がしてならない。

 例えば幼児教育のシステムにしても、もう少し知恵を絞って入り込んだ政策が必要だろうと思う。このところ母親たちが社会に出て働くことが多くなった。母親が働くことが、社会通念上当たり前のように見えるような社会になりつつあることも確かな現象だ。女性が世に出て働くことが美徳の様で、家庭にこもって子育てだけに専念するのは社会悪のような風潮でもある。女性が家にこもって子育てだけに専念するなんてことは決してできることではない。大変な炊事洗濯というようなこともある。そのような苦痛から逃れるために、ソ連共産党(レーニン・スタ-リン)は男女同権という言葉を編み出したくらいだ。何のことはない女性を炊事洗濯からの解放である。大地主の小作人からの搾取と共に、それが解放運動の走りとなったことは言うまでもない。

 しかし、日本での女性解放は外に出て働くことである。これは外に出て働くことで収入を得、消費を拡大させGDPを拡大させるという目論見があるからだ。しかしそのことでみんなの暮らしはよくなったのかというと、答えはNOであろう。社会不安の方が大きいからみんな収入は貯蓄に回ってしまって、金の動きが止まってしまった。そこへきてコロナ騒動だから泣きっ面に蜂である。「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」現象である。金ばかりを追いかけても幸せなんか簡単につかめるものではあるまい。

 話を戻すと、女性が働いていただける賃金はいくらぐらいだろうか。週休二日で最低賃金より多少多くもらっても、所得税やら社会保険などを引かれたら手元に残るのはいくばくかの雀の涙ぐらいである。幼稚園や保育所に子どもを預けるとゼロⅠ(ゼロ歳から1歳)で、幼稚園や保育所に入るお金は20万円を下らない。それならば税金のかからない育児補助としてゼロⅠを持つ家庭にはその分だけ支払ったらいいと思う。家庭で子育てするのは生産性がないとでも言いたいのだろうか。何度でもいうけれども私たちは未来の子どもたちから無償で借金をしているのだ。あまりにも子どもたちに対して優しくないではないか。

 幼稚園では運動会本番のまねっこをして、久しぶりに腹の底から大声を出したり笑ったりする子どもの輝いた顔を見た。躍動する子どもたちの体と心は、側で見ているだけで清々しい気分になる。「よし、今日は思い切り運動会のまねっこをしよう」というと、一斉に歓声が上がり、子どもたちの目が痛いほど輝いて見えた。コロナなど忘れて楽しい日を過ごした。やはり幼稚園はこうでなければならないと思う。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...