2020年10月30日金曜日

幼児教育が変わった

  今まで幼稚園教育要領とか発達心理とか、幼稚園の役割について真剣に議論してきた仲間たちが、少しずつ減っていっているような気がする。特に厳しい経営をしてきた仲間たちが離れていっている。幼稚園を辞めてしまったというわけではない。平成27年に施行された認定こども園が羽振りを利かせている。

 認定こども園には、幼稚園型と保育所型と幼保連携型と地方の行政が行う地方型という4つの形がある。幼稚園型というのは当園の様に幼稚園主体の保育形態を言い、保育所型は保育所主体で幼保連携というのは、主体が半分ずつだからどうなっているのか、はっきりとはわからない。しかしこの方法を採用した幼稚園が多い。

 なぜ幼稚園型認定こども園を選んで現在に至っているのかというと、当初県の説明では、幼稚園に足らないところを補っていくので、子どもにとってはとても良い存在になる。ということだったけれども、実はそうではなく、子どもにとってというよりは働く親にとってとても都合がよくなるというものだ。それではだめだと言っているわけではないが、子どもたちが置き去りにされて、行政が一方的に強行した結果である。幼稚園を辞めてほとんど保育所に傾倒しているやり方である。

  保育所に限りなく知被けていけば補助金もそれなりに出すということだから、経営にあえいでいた仲間たちは、保育所のような保育システムに変更を余儀なくされてしまった。一応「子ども子育て会議」などと銘打って専門家会議のようにここから答申が出されるというようなものであったけれども、実は選ばれた学者はみんな御用学者で、最初に官僚が作った作文を審議と称して時間をかけてやっているように見えるけれども、子どもたちの立場で考えて決定されるということはない。その証拠に子供の保育時間を決定するときに、幼稚園連合会から出向した東京の北條委員は「大人の労働時間は法律で8時間と決められているから、その前後で考えていただければよろしいのではないか」という意見を出したが、すでに官僚の作文には11時間をめどに決めるようにというものがあった。

 あまりにもひどすぎやしないか。そのくせ「三つ子の魂」だの、「未来の子どもたちの資産を我々が食いつぶそうとしている。」などの言葉はよく知っているようだ。この座長をしていた教授は私もよく知っているが、大学で発達心理や保育学を教えている。どんなことを学生に伝えているのか、耳をふさいで聞く気にもならない。正義がないのは政治の世界ばかりではない。国全体が金もうけに走っている。これが一概に悪いことだとは言わないが、度が過ぎてやしないか。

 学術会議などやめたほうがいい。内容はよくわからないけれど、発言者の態度などを見ていると、自分たちが絶対だみたいな恐れを知らない不遜な態度である。あのメンバーが仮にいなくなっても日本は何か困ることでもあるのか。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...