2021年6月1日火曜日

生きるということ

  ただ空気を吸っていれば生きられると言うことではない。空気を吸って生きながらえているということは、何らかの使命に気づき、その使命をいかにして果たしていくかを追求していくことに価値がある。ただ長く生きればよいということでもないだろうと思っている。「長寿は人生最大の勝利」などとほざいているものがいる。その中身によるだろう。私の友人が言っていた。日本は長寿国でも、生命維持装置によって生かされている人が少なくはない。病気で寝ている本人は「もういい」と言って喉に差し込んである管を無意識のうちに取り外してしまう。すると看護師が来て、病人の手をベットに縛り付け自分の手で管を外さないようにしていくらしい。それが彼らの仕事だろうが、それで病人はいいのだろうか。残された家族がその痛々しさを見ていられなくなるけれど、「生命維持装置を外してください」とは身内に言えないだろう。お金の話をするのは不謹慎かもしれないが、それだけで月70万円以上かかったという。これが長寿大国の実態だ。

 久保田浩先生の本に今日のタイトルと同じ「生きるということ」という本があった。ウインドショッピングをしていた数人の女子学生が、その奥に飾られている花瓶の花を見て「わー!きれい!」と言ってその花に近づいて観る。それでもウインドゥからでは飽き足らず中に入ってその花を見に来たところ、花に近づいて匂いをかいでも、花に触ってみても何の感動もない「なーんだ造花か」と言ってそこを立ち去るといった何気ない描写であったが、幼児教育者の久保田先生がその表現をするところに含蓄がある。暗に偽物であっては人に感動を与えないということだ。幼児教育は小手先で子供たちを惑わせてはならない。本物志向で行かなくてはならないことを示してくれた。子どもに向かう時真剣に向き合うということだろう。教育者はかくあるべきだろう。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...