2022年5月17日火曜日

幼小ともに力が入る

  幼稚園の保護者にあってお話を伺う機会があった。みんな私の子供みたいな可愛い保護者だけど、立派に子どもを産んで頑張って毎日を子育てにいそしんでいる。「若いのによくやっているな」という感じだ。コロナ禍で通常の保育ができないのが悔しいけれど、子どもも保護者も我慢していてくれている。何か今までにあった行事をやろうとすると、保育者から即座に「待った」がかかる。待ったがかかれば一度は引いてゆっくりと飲み込んでから会議にかけるようにしている。しかしほとんどの行事が規模の縮小を余儀なくされる。幼稚園というところはその時間を楽しく創り出してやるところだと思っているけれど、あれもこれもだめだと手足を縛られてしまって、欲求不満が残る。年をとって欲求不満が募ると行き場所がなくなるようで不安になる。

 初等学部の方でもかなりの変化があった。保護者が推薦してくれたドリル「東大脳」の編集者が学校にきて実演をしてくれた。勿論東大出の塾の先生で教え方にも迫力がある。学習することにかなりの自信があるようで、それがそのまま迫力として映るのだろう。東大出の教師人が揃ったと言え、だから東大に一歩近づいたなどと浮かれていたのでは大恥をかく。誰が授業を受け持つにしろ受け手である生徒の問題である。どんな立派な授業の神様みたいな人に出会っても、受け手がそれに倣うようでなければだめだ。

 保護者で東大の教授だった一ノ瀬さんが塚原学園の理事に就任してくれた。哲学の先生だから一般人と観点の違うところがある。変わっているというのではなく、物事をとらえる読みというのが深いところにあって、いろいろ話をしてくれたら楽しいだろうなと思っている。「東大脳」の先ほどの先生も、在学中に一ノ瀬先生の講義を受けたかもしれない。一ノ瀬先生が理事を引き受けたのも塚原学園を幼稚園から小中学校までトータル的によくしていこうということの一言に尽きると思うので、気を引き締めてやっていこうと思う。

 しかし急に東大と関わりが増えたような気にもなるけれど、私の学校は東大第一志望ではなく、「学校が面白くない」とツイートしている子どもたちを楽しく生き生きと生きていくことに沢山の力を貸してあげたいと思っていることが第一である。勿論学習することを含めてのことであることは言うまでもない。何しろ東大というところは勉強をだれよりもいっぱいしたからと言っても行けるところではない。人生のステイタスにはなるけれど、それ以外のものでも人生にはあまりある。あきらめないことが肝心だ。

能登半島

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