曇天がつずき雨が降り出すと庭に咲いた紫陽花の花がよく似合う。あちこちに束になって咲いているつつじも「忘れないで」と言っているように自己主張している。私は剪定された背丈の低い小木のつつじより、大胆に手足を伸ばしている山つつじの方が好きだ。しかし家の庭の花を眺めていると、いかにも自由に育った雑草の群れが嫌でも目に付く。これ何とかならないか。近いうちに何とかしてもらおう。そう思ってあちこちに電話をかけまくったが、今が過度期で多くの業者が手いっぱいだという。いましばらく我慢してもらおう。
これからコロナが終わって海外へ出向く人も多くなると思うけれども、こんなに円安が進むと海外へ出るのもブレーキがかかると思う。円安は150円まで行くだろうというのが大方の見方であるけれど、給料は上がらないし円安が進むのでは益々懐具合がさみしくなるではないか。黒田総裁は物価高は国民が認めて甘受しているなんて馬鹿なことを言っているけれど、岸田総理は令和の所得倍増なんて景気のいいことをぶち上げたけれど、ふたを開けてみたら資産の倍増だなんて、資産のない人はどうなるのか。これでは貧富の差がますますひどくなるのではないか。資産を持たなければだめだではもう私にはその世界にはいないから関係ないよ。
日本の経済の舵取りは財務大臣と財務省だけれども、日本人のための政治をやっていると自負しているのかよくわからない。日本の経済は米国に牛耳られていて、米国の都合よく回っているのではないかと疑わざるを得ない。安保協定がそうであり、日本の経済改革は国民のためになっていないではないか。米国の都合よくできている。情けないのは日本の官僚と政治家だ。日本国民のために命を懸けてやっているのか、そうではないだろう。己の名声と財をため込むためではないか。これでは国民は泣く。