コロナ禍が一部の原因になっていることは確かだろうと思っているけれど、人間関係が非常に希薄になったことを痛切に感じる。セクハラ、マタハラ、パワハラなどの言葉も多くの場所で聞くようになった。この言葉はもともと日本にあった言葉ではない。誰かが輸入してきたものだ。英語で言っているからきっと英語圏からもらってきたものに違いない。ある学校での出来事でこんな噂を耳にした。そして職場でも。
学校では、新入生が入ってきたときに「あまり注意をしない方がいいよ」と仲間から耳打ちされた。同じように職場でも「言い方によってはパワハラになるから気を付けた方がいいよ」と先輩諸氏から助言がある。また家庭の中でもそれに似た会話があるという。それが人との関わり合いの中に漫然とあるという。このようなことを今までの現象として捉えるならば「他への拒絶」の何物でもない。それが「そうだよね」と言って流されてしまうのでは、日本の伝統文化そのものの崩壊である。無関心(neglect)を装うことが自分の生き方だと固く信じているような家庭があるとしたならば、それは大きな間違いである。なぜならば人間社会は(自分は)有形無形必ず誰かのお世話になっているのだから、多少なりとも合掌して感謝して生きていかなくてはならない。これは子育てをする道徳の基本だ。
自民党がまた不祥事だ。自民党には素晴らしい代議士もいるけれど、権力に媚び謙虚さを忘れてしまった議員もかなりいるようだ。国民のために身命を賭すといったすっきりとした素晴らしい人はいないものか。金儲けをするなんて低俗なことをしてはダメではないか
風邪薬が届かないのはなぜか。製薬会社では制約家庭での責任者がいないとか、薬価基準が下がって経営が大変であるようなことを言っているけれど、今まで薬剤師の給与について言及されたことはない。薬は下がってもそこで働く人たちの給与は下げたことはないのでは、当然経営は困難だろう。みんなが医者と同じような給与をとることはできない。