2023年7月19日水曜日

CO₂が気象変動を起こしてる?

  CO₂が主な原因で異常気象をおこしてるというのは真実かもしれない。それだけで地球規模な異常気象をもたらせているのだろうか。ある物理学者は地球が太陽の周りをまわる公転の軌道のずれによって大きく寒暖の差が生まれると言っている。そのずれというのは太陽を回るときにほぼ円を描いているのか楕円なのかということらしく、楕円のふくらみを周回するとしたらふくらみの分だけ地球は太陽から遠ざかることになるから、その時には寒冷期とか氷河期になると言われている。その氷河期というのは、南極の地中深くいや地中とは言わなくて、氷柱200mぐらい掘り下げると200万年前の氷を観測できると言われている。そのアイスコアを研究している科学者曰く「氷河期は100万年続き次に令氷期が1万年続く」と「今が令氷期に差し掛かっているのではないか」と。人類は誰も生きていないから、真実かどうかはわからないけれど、科学者の言うことだから信ぴょう性はある。どこかの国の小学生だか中学生だか知らないけれど彼女の唱える地球温暖化よりもかなりの信ぴょう性がある。

 もし地球の公転や自転の問題だとしたら、CO₂の削減など無意味になるのではないか。地球の地軸が反転した証拠が見つかったという。誰もが知らないうちに北極と南極が入れ替わるなんてことが地球上ではあり得るのだ。かつてはフロンガスの使い過ぎでオーストラリアの上空にオゾンホールができて、そこから有害な太陽光が降り注ぎ皮膚がんになる人が大勢現れたという話があった。そしてフロンガスを使わないようにということで、フロンガスを使う冷房器具などは大きな迷惑をこうむったということがあった。もともと地球創世記のことを考えてみれば、カーボンニュウトラルなんてことは無理な話だ。海中に溶け込んだCO₂はどうなるのだ。

 プーチン大統領がウクライナに攻め入ったことだけで世界の食糧事情がひっ迫したというのは真っ赤な嘘だろう。爆発的な人口増によって世界の食料が足らなくなっているのは人口統計と食糧増産計画とのバランスをみれば、これから地球上で起こりうる危機について推測できるのではないか。インドが中国を抜いて世界一の人口を持つことになったが、その生活はどうだろうか。飢えで無くなる子どもたちが世界で1億5千万人もいるという。日本の人口よりも多いのだ。私たちがこれから注意深く見ていかなければならないことが山積している。


2023年7月17日月曜日

アイスクリーム

  ちょうど一週間前になるけれど、初等学部の近くを通る用事があったので「ガリガリ君」を買って学校へ行った。昼食が終わった後なので時間的にはとても良い時間だった。そこでみんなに配るために、校内放送のメインマイクを使って全学年に声掛けをした。マイクを手に取ってスイッチを入れると少し「がーがー」と音がする。その「がーがー」を聞きつけた生徒が私が来たのを察知して、マイクを握って何も話さないうちから職員室に少しづつ集まってくる。「青葉台初等学部のかわいいお友達にお知らせいたします。今日はとても暑いですので熱中症に十分気をつけて下さい。ところでガリガリ君を買ってきましたので用事のない方は職員室へ来てください」と言ってマイクを切るともうすでに長蛇の列ができている。

 こんなことができるのも青葉台ならではのことだろうが、普通の小学校のように大勢いたのではこんなことはできない。たかだかアイスをもらうのにも子ども達は真剣な顔をしている。誰もふざけたりなどしない。一生懸命に生きているんだ。なんとも素晴らしい姿ではないか。生意気なことは言わないし動作もしない。純朴さが漂ってくる。この素直さが人間形成の根幹になければならない。彼らには「良い人間になってほしい」と祈るばかりだ。

2023年7月8日土曜日

お泊まり会

  昨日から今日にかけて年長さんのお泊り会をやっている。年長になっても母親から離れられない子もいる。涙をいっぱい流しながら、ワーワーと思い切り泣いている。中には足をばたつかせて担任を困らせている子もいる。でも安心してください。母親との瞬間の離別が永遠のもののように感じているからであり、仲間と会話を交わしながら、「なんだ家に帰れば親はいるんだ」ということにすぐに気付く。そうなると泣いた子がすぐに笑顔に変わって、仲間と元気に遊びだす。子どもの成長というのはいつでも真剣勝負だから、そんな子供の様子を笑ってくれては困る。誰しも大人と言われている人もこのような経験を必ずしているし、この経験をしないと健全な大人になれないのですから。

 保育者は子ども達が寝ているそばで添い寝をする。薬の時間というのがあったり、トイレ時間があったり、それぞれだからぐっすりと寝るなんてことはできない。それでも年長になってこの時間はとても大切な時間だから、保育者全員が趣向を凝らして、子ども達が楽しめそうなパフォーマンスを準備して、子供たちも保育者も同じ気持ちになってこの時間を楽しみにしている。

 保育者は眠い目をこすりながら、しっかりと目を開けて頑張っている。私は年長さんに「頑張ってな」と言いに行っただけだ。何もできない。みんなに申し訳ない。体を少し動かすだけでも血中酸素をたくさん使うらしく、すぐにハアハアとなってしまう。筋肉をいっぱいつければ肺も丈夫になるからというけれど、筋肉をつけるのにはたくさんの酸素がいるではないか。

 あおば台のどんぐりハウスで「哲学カフェ」が行われた。初等学部の保護者が主催してくれたのだけれど、哲学というのは、「あるものをないといい」、「ないものをあるという」ようなものだと薄々気が付いてきた。さすがに主催者は日本哲学学会の会長も務め、東大の教授であったというだけあって、話し方がわかりやすいし、とてもフレンドリィなのがいい。とても楽しかった。テーマは「しあわせ」てどんな時感じる。

2023年7月3日月曜日

今のところの私の日課

 

 今のところの私の日課は、外に出ないで家の中に閉じこもっていることだ。これでは生きているか死んでいるのかわからない。たまに外へ食事に出かけたりするけれど、もちろん携帯の酸素を持参しているけれど、すぐに意気が上がってしまって息苦しくなってしまう。間質性肺炎は着実に進行しているようだけれど、意識ははっきりしているからブログは書き続けられる。

 幼稚園では鶏を飼っているから、主治医が行ってはいけないという。病院に行くたびに胸部のレントゲンを撮って主治医が説明してくれるけれど、いくら説明してくれても治癒しない病気なのだから、説明を聞いている本人は上の空だ。幼稚園の玄関にはツバメが一生懸命作った二つの巣がある。もうツバメの子供たちは巣立ったのだろうか。一時幼稚園の中で、ツバメの巣を取り払おうという議論があったようだけれど、それはやめてもらった。だから幼稚園にこっそり行く場合には玄関から入らないで給食室の方から入る。慣れている保育者が上履きをホールに持ってきてくれる。自分の幼稚園なのにまるで不審者だ。

 

 幼稚園や小学校の出来事を反芻して思い出している。中学校を作ったけれど今は休校している。校長が代わって、経営者も代わってゆとりがあって、子ども達に優しく接することができる人が現れた頃に、また始めたらいい。

 原点は幼稚園だから、前にも書いたが「発達理解」を十分に学び子ども達に同化し、それでいて決して流されないことが肝要だ。保育者と一緒に作った丸太の遊具が懐かしい。誰も文句など言わずに夜遅くまで作業をしていた。子どもへの愛情と、仕事への熱意がそうさせていた。あの頃はまだ第二幼稚園はできていなかった。私達はまさに保育者としての誇りを持っていた。気持ちだけは日本一の幼稚園だったのだ。

 

 もうあの頃の自分には戻れない。気力も体力もないからだ。だから口ばかり達者になって困ったものだ。幼稚園教育要領でも、小学校でも同じだが、「生きる力を育む」とあるけれど、「生きる力」とは簡単に言えば「生活力」のことだ。普段の生活から遊離した学問なんて言うものはない。身近にある生活を大切にすれば生きた学問になる。座学は研究者になってからでいい。だから教師も保育者も、子ども達とともに、目的意識を持って生きていかなければならないのだ。

 

2023年6月29日木曜日

人生の勝利者とは

 

人生の勝利者とは

人生百歳時代とか、長寿が人生の勝利者だとか、長生きすることを盛んに讃えている様子がある。70になってあと30年はきついと思うがいかがだろうか。80になってあと20年というのもきつい。人それぞれの体力によってその感覚は違うであろうが、年齢の長短ではなくて、いかに意識的に満足できる人生を送ってきたかどうかであろう。

 

 病気の種類にもよるだろうが、私ぐらいの年齢になると、延命装置を付けますかということをきかれる。私は即座に拒否したが、あれは何のために着けるのか、あとに残されたものに大きな負担をかけるだけではないのか。意識のない物体を生き永らえさせておくなんて、それで平均寿命が延びたなんて言うことは、まやかしではないか。

 

 それでなくとも医療費は高額だ。なるべく残されたものに迷惑をかけないで、後悔せず潔く散ることを、腹の奥底にどしっともっていないと、死んでからも多くの人の世話にならなければならない。もうさんざん多くの人の世話になり、迷惑をかけてきたのに、これ以上 は負担をかけるようなことはしたくない。

 

 私は幼児教育については、学会で発表するまでに仲間によって引き上げられてきた。しかも筑波大から出ていったのだから驚きだ。そのテーマは「握力と生活意欲の関係」だ。あの頃は、あおば台の年長だけでちょうど100名いたので、区切りが良く案外時間をかけずに調査することができた。故杉原先生(恩師、元筑波大教授)のおかげで、勉強嫌いな私でも一点集中することができて、もちろん側についていてくれた院生もいたけれど、最後までやり遂げることができた。発達理解の大元は幼児期であるということも完ぺきに理解できた。心理学では多くのジャンルに分かれているけれど、人の心のありようは幼児期からの積み重ねである。

 

 今日もまた病院へ行って検査である。鳥の糞や羽などが宙を舞っているらしくて、私にはよく見えないけれど、医者はそう言っている。私はその見えない敵に怯えて毎日外へ出られずじっと家の中にこもっている。「医者の言うことをきけ」という人がいるから今のうちはそうしているけれど、こんな事いつまでも続くはずがない。私は元気だと思っているのだから。鳥の糞なんかに負けていられない。

 

 最初に戻って「人生の勝利者とは」。私は人生を振り返り後悔をしない人。楽しさでニヤニヤできる人ではないかと思っている。子ども達の中へ入って一緒にゲラゲラと笑ったりすることができなくなってしまったのが寂しいけれど、やり残したものはない。新しく楽しさを生み出せるような体力も気力も知恵もなくなってきている。保育者は常に楽しさの追求ができなくては自分を苦しめてしまう。

2023年6月26日月曜日

小学校の学校説明会に参加してきた

 

小学校の学校説明会に参加してきた。とても多くの人たちが来ていて驚いた。全員が入学してくれることを望んでいるが、そんなことはあるまい。もう何年も何回となく説明会を行っているけれど、説明会に出席された子供たちが学校へとどまるということはまずない。子どもたちの顔を見ても、その動きを見てもなるほど子供らしいし、何と言っても素直なのがいい。子ども達にとっては居心地の良い素晴らしい学校だ。

塾のようだと勘違いされるのが嫌だからあまり学校の成績のことは言わなかったけれど、この学校は教科書も良くやっている子がいる。進学校で有名な私立の中高へ過去に何人かも行っていて特Aをとるなんて言って頑張っている子もいて、いろんな子がいてそれでいい。みんな一緒ではなくてそれぞれの人生だから誰かの真似をする必要はない。一人ひとりが輝けるのがいい。

2023年6月21日水曜日

何がどうなったのだ

  子育てについて家庭での教育力の低下には目を見張るものがある。いや国全体の教育力が低下している。総理の息子が官邸で一杯やったとか、このような類の人物を日本最高府の官邸に入れてしまう総理としての人物的資質にも教育がいきわたっていない。その人が異次元の子育て政策なんて言ったって底が見えている。パフォーマンスだけで何も決まっていないではないか。増税をしないと言いながら共済の金額を上げるなんて言っているけれど、あれは私たちは保険税と呼んでいる。こんなまやかしをやっていて増税はしないなどとよく言えたものだ。せっかく所得を上げるところまで追いついてきたのに、共済を上げたら所得がかなり減額になる。

 来年になるとよくわかるのだろうが、出生率はまたまた最低を記録するだろう。子を産む分母が減っていることも要因だが、いくらお金をばらまいても子どもは増えない。世界中に散らばっている難民に門戸を開けて、しっかりとした教育を施して日本人にしてしまったらどうなのか。単一民族なんてことはこれからははやらないし、そんなことがこれからも維持できるなんて思えない。これからは政治家の好きなGDPは下がる一方だ。

 教育力の低下に戻ろう。私が教育力があるということでは決してないけれど、私が学んできたことは素直に子どもたちに還元している。以前の話になるけれど、あおば台は「ケガについてあまり真剣に考えてくれない」と言った保護者がいた。ケガについてあとまで残るようなケガをさせたことがあるだろうか。200人を超える子どもたちがいるのに、全員に目を配るのは至難の業である。しかし子どもたちには入園してきた直後から園の危険個所をしっかりと伝えてある。その上で園庭などには保育者をどのように配置すれば効率よく子どもたちを見守ることができるか話し合っている。当たり前のことだが、微に入り細に入り神経を使っているのに、ケガについて真剣に考えないなどは無礼千万である。

 保護者が目をつぶって任せてくれなければ子どもは自由になれないし、冒険ができなくなる。冒険ができない子どもになってしまってはその子の一生の問題になるだろうし、私の保育観とは相いれないものだ。子育てにはドンと構える太っ腹も必要なのだ。ケガをすれば小さなケガとは言わないけれど、そのことによってその子はそれ以上のけがをすることは回避できるだろうし、まったくケガをしないで子ども時代を過ごしたなどというのは自慢にもならない。私はこれまで多くの難題に直面してきたけれど、私の保育観や子ども観が受け入れられなくなったら、私は潔く保育現場から去る。小学校の子どもたちの発達理解についても同じことである。

 保護者も変われば、保育者も学校の先生も子どもを見る意識が変わってきたことを、身にしみて感じてきたこの頃である。もう30年も前のことになるけれど、今の幼稚園が新築されたときには、ある保護者が木の電柱を98本寄付してくれた。それを使って遊具を保育者と一緒に作った。保育が終わった後でも皆で楽しんでワイワイと作った。「明日子どもたちはこれを見て何というのかな」ということが唯一の楽しみだったのだ。投光器を持ってきて夜遅くまでやるときもあった。誰もそれに不服を言うものはいなかった。子どもたちの顔を見ることが楽しみだっただけのことだった。幼稚園生活が子どもたちと共に楽しかった。今はちょっと難しくなったかな。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...