2022年7月29日金曜日

学校や幼稚園のこと

  幼稚園はすでに終業式が終わり夏休みに入った。夏休みといえどもつい数年前と違って毎日幼稚園は稼働している。預かり保育というのがあるからで、毎日保育者が園にきて保育をしている。全員が来ているわけではなく、何人かで役割を決めて幼稚園の通常の保育やら作業をしている。暑いのに頑張って大変だ。幼稚園にきている子どもたちも大変だ。先日お迎えに来ているお母さんと職員室の前でお会いして、子どもたちが遊んでいる園庭を覗いていた遠くの方から母親の姿を見つけて一目散に母親のもとに駆け寄ってくる子どもの顔を観ていたら、憔悴しきっていた顔がにわかに活気を取り戻して母親にべったりとくっついている。「今日は預かりなんだ!」などと言って最初の頃は得意がっていたけれども、時間が来て一人減り二人減りと、徐々に仲間が母親に連れて帰ってしまうと、笑顔の中にもどこか影を落とす顔になる。そして母親が迎えに来る姿を見ると我慢できなくなって母親に飛びついていく。このような心の抑揚が将来どのような育ちとして人間成長に刻み込まれて行くのだろうか。

 初等学部は2学期制だから終業式は9月に行うけれど夏休みがないわけではない。校内の通称「軽井沢」というところでキャンプをしている。この学校には校内が広いというだけではなく、多くの施設がワイルドだけど揃っている。ここに通っている生徒の数は少ないけれど、みんな元気ではつらつとした顔をしている。屈託がなく1年生から6年生まで男女を問わず仲が良い。何よりも自慢なのは全員が自分の目標を持ちそのことについてプレゼンをする場合には臆することなく堂々としてできるというのが自慢だろう。何といっても人間社会の基本である人と人が仲が良いというのが最も優れた自慢だろうな。

2022年7月11日月曜日

お泊り会

  お泊り会の導入の時に「お母さんと離れるのが嫌だからお泊り会は嫌だという人はいますか」ということを投げかけたら、どちらの園でも30%ぐらいの子が手を挙げた。男女ともにである。「度胸試し」という言葉がなぜか子どもの中に恐怖を植え付けたようで、最近では「探検」という風に言い換えている。言葉がひ弱になって何でも軟弱な方になびいていくようだ。あおば台ではどろんこ遊びというものを大切にしてきたので、その時に用意したものが「どろんこパンツ」であるけれども「どろんこ」というのがあまり良いイメージを持たないということで「おひさまパンツ」という風に直されてしまった。吹けば飛ぶようなこれまた軟弱な名称ではないか。上流社会で育ったのかどうか定かではないけれど、ワイルドなイメージは最近の保護者にはフィットしないようだ。余談になるけれども最近守谷の方に「どろんこ幼稚園」というのが開園されていて人気沸騰しているようだ。私の幼稚園は先に行き過ぎているのだろうか。

 話を前に戻して、キャンプ当日の夜は保育者のスタンツなどがあったりして、保育者とともにまじりあって楽しんだのではないかと思う。子どもたちの歓声はいつどんな時に聞いても前向きだからいい。そして一夜明けて子どもたちに聞いてみた。「夜になって家に帰りたくなって泣きそうになった人!」と言ったら、臆せずに堂々と10%の子どもたちがサッと手を挙げた。かつては少しばかりでも恥ずかしそうにしていたのだけれども、今はない。歯を食いしばるとか我慢をするということが少なくなってきたようだ。誰でもそういった経験はするものだけれども、そのような状況に置かれたときにはどうするのだろうか。英国にはレジリエンス教育(やりぬく)というのがあるけれども、今の日本にはないからどうします。

2022年7月1日金曜日

思うようにはいかない

  何事も思うようにはいかない。私はもう好き勝手なことをやってきたのだから、今頃になって思うようにいかなくたって誰に憤懣をぶちまけるわけではないけれど、このストレスは何かに期待しているからなのだろうから、期待するのはやめればいい。しかし仕事をやっている間は期待しないとやっていけないだろう。そうしないならば自分で動かなければならないからそれは不可能だ。もっと体が敏感に動けばいいけれど、どうも関節あたりが錆びついてしまっている。機敏に動ければ誰かに期待をするなんてことは極力しないから、まったくストレスはなかった。そんな時代に戻りたいな。

 初等学部のオアシスに年長の子どもたちが入るのを見てきた。プール遊びだけれども、幼稚園にあるプールとは全然違うから子どもたちは大喜びだ。プールの側面がちょうど滑るのに楽しそうで、何回も上に上がっては滑り台にして遊んでいる。子どもたちは飽きるまで疲れを知らないから何度でも繰り返して遊ぶ。それも慌てなくてもいいのにいついでも全力で駆け足だ。まったく疲れを知らないのだ。これだけ集中して遊んでいたら、あとはへとへとだろう。まったく初等学部は楽しいところだ。校庭が原始的なのがいいのではないか。だからこそ「遊びは創造的」なのだろう。

2022年6月26日日曜日

学校説明会

  学校説明会が25日土曜日にあった。第1回目に次ぐ盛況ぶりであった。全員が初等学部に入学してくれるとは限らないけれど、ここに小学校があるということが知れ渡ったというだけでもうれしいことではないか。一生懸命に募集に関してやって下さる保護者の熱意のたまものである。とにかく感謝したい。新しく理事に加わった一ノ瀬さんもできる限りの力量を発揮してくださって、かつて東大教授であった力をいかんなく発揮してくれている。東大教授という知名度はともあれ、哲学の教授だからいろいろな分野についての知識が豊富で話していても面白い。相手が東大教授だったというだけで後ずさりしてしまう気がするけれども、そんなことは全くない。その人が子どもたちの前で教鞭をとるなんて全く面白いではないか。

 幼稚園ではどちらの園でもお泊り会の導入をした。いろいろなことを話した後に、お泊り会でお母さんやお父さんと離れるのが嫌だからお泊り会は嫌だと思っている人、と言ったら両園で同じように3分の1ぐらいの子が手を挙げた。みんな年長さんだ。それだけ親元が恋しいのだろうな。何もコメントはないが、本当は全員が親元を離れたくないのだ。けれども手を挙げなかった3分の2は我慢して手を上げないでいる。そのくせ度胸試しなどには興味があって強がり男児が結構いる。本当にできるのかな?

2022年6月20日月曜日

日本に興味があるのか

  「令和」は万葉集からとった紀元であると言われているけれども、万葉集のどんなところから取り出したのか、いまいちどころか皆目見当がつかなかった。万葉集の研究家は沢山いると思うけれど、ただの国語の先生では探し出すことは難しいだろう。そこで万葉集からだと言っている先生の本を買ってみることにした。「万葉集」の世界へようこそ。眠れないほど面白い万葉集。とご丁寧に副題までついている。副題がついているから読みやすいとか本当に面白いんだろうなと思っていたら、人によって全然違うからあまり当てにはならない。私はかつて小学生のハイレベルの算数が解けなくて、恥ずかしながら本屋に駆け込んでこの副題のついた「眠れなくなるほど面白い物理」という本を買ってみた。なるほど眠れなくなるほど難しくて不眠になった経験がある。さて令和の出典が万葉集であるのは知られているけれど、初春の令月にして、気淑く風和らぐ(しょしゅんのれいげつにして、かぜやわらぐ)「令和」とは「麗しき平和を持つ日本「」という意味らしい。山上憶良か旅人の作と言われている。この時代には天平文化などと言われることもあるけれども、私はこの時期に平民も高い識字力があったとはにわかに信じがたい。だから百人一首の方が貴族の遊びだし信ぴょう性があると思っている。

2022年6月17日金曜日

日本の国は悪くなった?

  円安は通貨のトリックではなくて、実際に日本の国が弱くなった証である。かつて世界の火薬庫と言われていたベイルートや中近東ではなく、彼らは石油の持つ絶大な力を確認したようで、あの周辺国は殆ど豊かになっている。ただテロリストが巣を作っている場所はいつになっても貧しい暮らしをしている。日本は中国やロシア、北朝鮮と核を持っている独裁国家に囲まれているのにそれに関する備えが全くない。今や地球の火薬庫は日本周辺ということになった。だからこんな危ういところに投資するような人はまずいないだろう。そうなるとこの円安はそう簡単に終わらない。日銀が米国や英国に倣って、銀行金利を上げるように誘導しないと円安は止まらない。しかし日本にそれだけの体力があるかどうかが問題だ。

 何もやらない何のビジョンも持たない総理として定評があるけれど、ただの役職にとどまっているでは困る。私は今菊池寛の「明治の大衆」というGHQに焚書にされた本を読んでいる。明治初期の政治家たちの苦悩がありありと描かれている。彼らはいつでも自分の命のやり取りをしてもよいというような切羽詰まった覚悟をもって生きている。だから常に庶民との心の在り方を見ている。庶民に迎合とか忖度とかいうのではない。いつどこで自分が狙われているかという覚悟を持っている。今の政治家にそれがあるかと言えばほとんどがNOだろう。菊池寛のこの本を読んでほしい。焚書だからなかなか見つからないだろうけれど。

 伊藤博文などが明治憲法を作ったときの苦労など、どれくらいの法学者がかかわったのかと思っていたらたった5人ぐらいでやり終えた。大隈重信などもここに召集されたが「伊藤に任せた」と言って最初の集まりに顔を出したぐらいであとは全く出てこなかった。もっともこんな大事な問題でも、多くの人がいてはまとまるものもまとまらないということを見抜いていたのかもしれない。明治22年2月11日日本国憲法が発布された。

 日本は戦争に負けてGHQに日本国憲法を作られてしまったが、今でも外務省はそれを認めていない。国民のための公務員が全く国民に背を向けて米国を見ている。骨の髄まで根性が腐っているのではないか。憲法改正も必要だがもっと重大なことは完全に米国から独立することだろう。沖縄の軍事協定を正常に戻し不平等を無くすことだ。私はGHQに焚書にされた素晴らしい日本の模様を探っている。現実の日本はひどい国になってしまったことを気付かないまま日本の国は滅んでしまう。

2022年6月14日火曜日

日本が国連の非常任理事国になった

  私は外交官ではないからこの絡繰(カラクリ)りについてはよくわからない。常任理事国というのは拒否権を持っている国のことだろう。その国が国連の約束事を守らないで勝手なことばかりしているのに、国連も何もあったものではない。ちなみに国連への拠出金というのを調べてみた。永久常任理事国の中国1.50%・ロシア1.20%・英国5.53%・フランス6.46%・米国22.00%(2003年度調べ)。常任理事国でもこのような有様だから他の非常任理事国たかが知れている。日本はどのくらい収めているかというと、なんと20.00%である。この金額は米国を除いた常任理事国の合計額14.69%よりはるかに多い。この20%というのは1000億円である。そのほかに国連難民高等弁務官事務所への献金、国連開発計画への献金、世界保健機関への献金と底なしである。日本は1000億円の上にさらに1400億円を出している。

 これほど国連に貢いでいる日本が国連憲章文(第53条と107条)の中で日本はかつての「敵国」と明記されている。いわゆる敵国条項である。日本やドイツがいまだに国連の敵であるみなされているのである。日本はこの差別的条項を削除してほしいと頼んでいるが無視されている。これは安保理の審議なしに中国やロシアが日本に対して軍事的制裁を行ってよいということである。この時代にそんなこともあるまいと思うけれども、ロシアがウクライナに戦争を仕掛け、中国が台湾を無理矢理併合するような事態が現実味を帯びてきたので、日本に戦争を仕掛ける場合に、この条項が彼らの言い訳になるかもしれない。

 なぜ日本は国連への拠出金がこんなにも多いのか、NHKのニュースでも解説を聞いたことがない。国民の税金が日本のために何にもならない国連貴族と言われている国連職員のために拠出するなら、国民にしっかりと説明しなければならないだろう。国連での地位の確保より国連改革が最も優先されるべきであろう。外務省は国民のために働き、海外に見栄を張る必要はない。いま日本は円安が進んでいるけれども、円安ドル高は1年と持たないだろう。官房長官は「憂慮している」というだけでその実効ある対策は言わない。自信のない日本の政治家の手本みたいなものだ。国民は生活の中で「憂慮している」ことが沢山ある。言い放しではいられない現実は進んでいってしまうから。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...