2020年6月24日水曜日

生きていることが楽しい

これは「年寄りのことば」だ。若い人はあまり過去がないから物事を感慨深げに見ることがないだろう。いずれある日日向ぼっこをしながら過去の思い出に耽る時が来る。友達と、あるいは一人っきりで。くすくすと笑いながらか深刻な顔をして、まあこれは年寄りの末期的症状かもしれない。若さの特権は過去についてあまりこだわりを持たないというのが最大の特徴だから、前を進みもっと先を切り開いていくというような使命があるわけだから当然我々と同じようであってはならない。

両園ともにリヤカーの運転免許証の取得試験を行った。子供たちはこの日のためにリヤカーの運転技術を磨いてきたのだから、一生懸命に検査官の役目をしなければならない。子供たちの目が刺さるほどに真剣だ。コロナのおかげで普段の保育が延期になったり中止になったりしたのでこの時間を何とかして取り戻してやりたい。また年長さんは昨年の年長さんがどんなことをして立派な年長さんになったのかということをよく知っていて、次に何をやるのかを確認してくる姿がある。年長になってすぐコロナで休みに入ってしまったけれども、よく育っていると感心する。

2020年6月9日火曜日

通常通り

昨日から茨城県は通常通りの学校教育が始まった。岩手県などは感染者ゼロをずっとやってきているのに、全国一斉の緊急事態宣言には全く納得がいかないだろう。東京のように不要不急の外出は避けるようにとか三蜜を極力避けるなどのお達しが出ても、何のことやら誰のことやら耳を疑うようなことで、まったく自分が言われている気にはなれないだろう。そもそも何でもないところの住民は、緊急事態宣言という言葉一つで減収になってしまった。国としてもコロナの被害に直接あった人以外にもこのような人を救済しなければならないだろう。学校教育の遅れは全国的に感染してしまったが、オンラインスタデイとか言って、パソコンで遠隔授業をしていて急場しのぎを行ったが、学校という場所は大人が考えるような知識を詰め込めばよいというところではない。

久しぶりの登校で仲間に会えた無量の喜びがにんまりとした子供たちの笑顔から読み取れる。そんな心の栄養はオンライン授業ではどんなに頑張ってみたところで、得ることは困難であろう。そんな連続性が心の豊かな人間性を作っていく。無色透明な世界だから、目で見るだけでは子供の心は見ることはできない。

昨日も今日もとても暑い。外は30度を超えているのではないかと思われる。あおば台では約20年ぐらい前に園庭の大改造をやって川を作ったり池を作ったり、小さなログハウスを作ったり、滝を作ったりして子供たちの遊びの園を完成させた。井戸を掘り池に循環ポンプを置いて滝に水をくみ上げその水を川に流し、その川はログハウスの下を流れていくようになっている。ログハウスは静かな部屋という呼び名で絵本を読んだりお話をしたりするときに使われる。でも子供たちはキャーキャーと騒いで静かになるときはない。
今日のような暑い日は、川に入りたくて子どもたちの長蛇の列でものすごく人気がある。作ったのはずいぶん前になるけれど、子どもたちの笑顔を見ていると本当にうれしくなる。子どもたちの笑顔に癒される。

初等学部のオアシスは、とても暑い日にプールを作ってと言われて急遽ユンボーで穴を掘って作ったものだが、大きさは12m四方で大変な作業であった。とても自分一人ではできないとほとんど瞬間に悟って友達の業者にお願いをして、1週間ぐらいかかった。底には防水シートを敷いて本格的に作った。池を作ったのはいいけれどその水はどうするのかということをあまり考えなかった。そこで今度は川を作ってその川に池の水を流すことにした。その川の名前はクジラ川という。今でもその川の水は敷地内に放流している。夏はカヤックをしたりしていてとても楽しそうだ。その川の長さは全長200m弱はある。どうですか楽しいところでしょう。なんといっても子供たちの顔がいい。

2020年6月2日火曜日

幼稚園も小中学校も始まった

幼稚園は自由登園にして開園していて初等学部もそのようにして開講していたから、公立が一斉に開校してもあまり驚きも何もない。相手が見えないコロナだから、学校が一斉休校になることはやむを得ない。ましてや公立となると上意下達は守らなければならないだろう。自分の判断でどうこうのというは場を乱すことになるのでそれはご法度となる。だから茨城の教職にある人の中には悔しい思いをした人が多かったのではないか。しかしまだコロナは水面下に隠れているだけだと、私たちを不安に陥れているマスコミや専門家がいる。
その専門家会議の議事録を作っていないということを政府要人が堂々と言っている。これだけ地球上を騒がせたコロナウイルスの対策について、日本の専門家が一堂に集まりその対策を時間をかけて論じていることの議事録を作成しないなどと堂々と言っていたのではこの政府は国民の政府ではない。誰のための国会であって政府なのか。そんな彼らには任せられないではないか。それではチェンジするかといっても昔の社会党のような野党では頼りがいがない。主権在民ということをすっかり忘れている為政者には用はないが、政治家集団は貧困である。

幼稚園には子供の歓喜の声が鳴り響いている。先週の一週間は活動計画に入れずに、のびのびと一日を過ごしてもらった。年長は活動計画の中に一日の動きを入れてやらないと、なんだか手持無沙汰であったので、今週から子どもたちの計画に合った意見を出してもらい、それを中心に動いていきたい。さすがに年長の発達はコロナに負けない。長年のDNAが「これをやらないと年長ではない」みたいなものが幼稚園に定着している。年中少はゆっくりと幼稚園を楽しんだらよい。

2020年5月28日木曜日

猫の目のように変わる

首都圏の人たちが頑張ったおかげで緊急事態宣言が全国的に解除された。とてもいいことだと思っているが、宣言解除は早すぎるのではないかという人も半々ぐらいにいる。
多くの人が新しい生活様式などの言葉を使っているが、それはいったいどのようなことなのかが具体的にわからない。私も年を取ってきたので理解力がだいぶ落ちているので何度聞き返してもわからない。新しい生活様式というのは三密を継続して守っていくことなのか、そのように受け取れる解説がいたるところで聞く。コロナ撲滅のために感染しないように三蜜が言われていたのに、これからの生活に取り入れるとは全くおかしな話である。

特に学校や幼稚園などで三蜜を取り入れている、まことしやかにおかみの言うことを漏らさずに聞き入れる思考停止の状態を産んでいる。これはあくまでも感染している人が存在しているということを前提に予防措置が取られていることなのに、感染者ゼロのところでもそのようなことが必要なのか?。不思議である。感染した人の経路が全く分からないのでどこにウイルス保持者がいるのかわからないから、用心のために考えられる措置をしているのだろうが、やりすぎという批判がある。パニック症候群になったり、コロナ鬱になったりしている人がいる。

40年前にバイカル湖を船で渡ってイルクーツクへ行こうとしたとき、モスクワからの話でバイカル湖は天候が悪く船が出られないということで陸路バスで行ったことがある。私たちはバイカル湖の湖畔にいたからその時の天候もよくわかっていたが、現場を知らない中央集権的な社会主義の強権性を垣間見た感じがした。日本の今は強権的な政府ではなく、民衆がそれになびいていくおかしな現象である気がしてならない。

幼稚園や小学校では三蜜を守っていたらその体をなさなくなってしまう。幼少期は人とのかかわりがあって成長を促していくのに、まず人を疑ってかかることを教えなければならないなんて、いっそのこと休学にしてオンライン授業を徹底すればよい。たぶん人間として偏った性格の人たちが増えるだろう。政治家は子どもたちの発達心理は学んでいないから仕方がないにしても、教育関係者はもっとよく考えて、より良い学校生活を構築していかなければならないだろう。

2020年5月20日水曜日

幼稚園変更有

一昨日にこれからの幼稚園の運営について、これが一番いいと思っていたことが、昨日の保育者との会議で一部訂正ということになった。正式には、25日からの登園については1週間は午前保育として自由登園とする。この間は休んでも欠席扱いにはならないということです。従って給食はないということになります。休み疲れている子どもたちにはこのやり方の方が優しいだろうということです。保育者が集まって真剣に考えたことだから、そのようにした方がよいという判断です。その後のことについては来週中に考えることとして、失われた行事についてどのようにして取り返すかを考えることにする。

これが細菌兵器だとしたら世界各国は手も足も出ないということになるけれど、先進国の中でも日本は被害が少ない方だろう。PCRがどうだこうだと言っているけれども、医療体制が一部ボロボロになってしまっていることが露呈されて、これからの課題がよく見えるようになったのは収穫である。それにしても普段から使っていないマスクが無くなるなんて想像にもなかったことだ。

両園ともに保育者がよく頑張っていて頼もしい限りだ。また初等学部にしても同じ方向を向きだしたのは何よりの出来事である。もともと素質のある教師たちだからボタンのかけ方を間違わなければ立派な学校になることは間違いなしだ。子どもたちは、開学当初からうっとりするほど素直で性格がよいので、自然に仲間関係はよくなって、みんなが前向きである。何よりも本が好きだというのが楽しみな存在である。

2020年5月19日火曜日

コロナのこと

これから幼稚園はどうするのかということは書いた。コロナウイルスが流行っているからということで、学校や幼稚園などを簡単に休ませては困る。茨城県は感染者ゼロを何日か続けている。休業を解除するのにはそれが根拠となるけれども、警戒を続ける根拠は「感染したら…」という不安だけである。あちこちに不安を振りまくと、それが風評被害となることも予想される。ある専門家に言わせると、このコロナウイルスは2~3年ぐらいは続くだろうと言っている。近い話では7月から9月にはにはかなり多くの人が感染し今までにない感染者数になると言っている。また冬には低温乾燥時期になるのでウイルスが定着しやすいとも。
現実に起きている事柄ではないのですべて憶測に過ぎないけれど、この中から自分が信頼できる事柄を選択して生きていかなくてはならないだろう。自分は大丈夫だという正常性バイアスを排除してよく考えて決定しなければならない。勿論この先何もないということもあるかもしれない。しかし今の東京を見ているとそれは非常に薄い。

小中学校はどうするのかということを書かないといけない。小中学校も幼稚園と同じで25日から登校を開始する。バスも給食もありだ。受験を控えている子どもたちが可哀そうだ。家にいた方が勉強しやすいという子はほんの一握りの子で、大体は仲間と一緒にいる方がやる気というものは増幅されるのが普通だ。人間は人類発祥の年から集団化して生活をするというDNAができているので、なるべくなら学校にきて自分たちの教室で学習することの方が望ましい。何よりも家に閉じこもっている子どもの姿などは、精神衛生上好ましくない。

私が登園日を決定したり小中学校の開始日を決定しているのは、独自で考えているわけでもない。県に電話をして確認をとって決定している。県内でも学校開始日は足並みがそろわないでいる。だから結果についてはすべて県の責任ではなく所属長の責任において決定している。何かあったらなんて誰にも責任が取れないではないか。

2020年5月18日月曜日

恐れながら!

100年前のスペイン風邪についての話も出てきたところだが、あれもやはりウイルスだったんだろうと推察している。第一次世界大戦の真っただ中であったし、ウイルスの研究は全く新しい分野で、なぜこんなに風邪ぐらいで死んでしまう人が多いのだろうと不思議がっていただろう。特に研究者の間では昼夜を問わず、寝食を忘れて疫病と戦っていたに違いない。しかしウイルスの発見は50年前ぐらいでなかったか?。
世界では日本の感染者数と死亡者数があまりにも少ないので、それが真実なのかという風に疑って報道されていることもあるようだ。それについてしっかりとした日本側の反論がないけれども、まさか日本が事実をごまかして報道しているなどのことはあるまい。そうなれば日本の医療機関の優秀さが光る一面でもある。とにかく医療機関にはご苦労様と大きな声で感謝したい。

幼稚園ではクラスごとの登園することにして、今日で2週目になる。子どもたちが園にきて園庭にパーと広がっていくと、急に殺風景な砂漠のようなところに花が咲いたようになる。オアシスを作っているのは子どもたちそのものなのだという実感がする。中には「遊び方忘れちゃった」とか「やっと年長になれたね」とか言いながら久しぶりに会えた仲間と頬笑んでいる。また水道のところへ行って、手に石鹸をたくさんつけて、指の間を丁寧にごしごしとやっている子もいる。休みの間に、かなりお母さんに特訓されたのかなと思う。ほほえましい出来事でもある。

茨城県はここのところ感染者も0を続けているので、もう少し緩めてもいいのではないかと思う。戦時中ならいくらでも閉じこもっていられるけれど、外へ出ても爆弾が落ちてくるわけでもないし、コロナが危ないといっても具体的な敵の姿が見えないのが厄介だ。
私は、今週中に県内で感染者ゼロであれば幼稚園は通常通り開始することにします。バスも出しますし、給食も始めます。バススタッフは1週間は教師が努めます。また給食手伝いにしても1週間は教師が努めます。ただウイルスというのは簡単に変異して違った形で存続するようなので、しばらくの間は安全宣言は出ないでしょう。気を緩めてはならないとか、第2波が怖いとか悲観的な話が多いけれども、また安全などはないと言われたらどうすればいいのでしょうか。他人の責任にしないで自分の身は自分で守るしかないでしょう。一生懸命に私たちを守ってくれている人がいるのだから、悲観的にならずに前を向いて生きていきましょう。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...