2020年11月27日金曜日

保育参観が終わった

 両園ともに全学年の保育参観が終わった。どちらも最後の参観は年長さんだったけれども、一応は「遊園地つくり」とか「年長ランド」という風に銘打っている。どこかでやっているような制作展である。小物を作ってテーブルの上に並べるというのではなくて、部屋全部を使ってとかホールを使ってというようにダイナミックなものである。

 出来上がったものを見ると「あおば台の年長はすごい!」と感嘆せずにはいられない。彼らはこれらを設計図つくりから始めるが、その設計図を見せてもらっても何が何だかさっぱり解らないものが多い。しかし彼らには明確にわかっているのだろうと思い、執拗に解説を求めるようなことはしなかった。できたものと設計図を比べてみてもわからないが、子どもたちの中では出来上がっている。もっとすごいと思うのはそれらをグループのみんなが理解しているということだ。中には私と同じように理解できないという子もきっといたはずであるが、作っているときには、一緒になって無我夢中になって作っているのだからやはり「わかっていたのかな」ということになる。

 目をキラキラさせて作っていて、出来上がった時には仲間同士てどんな会話をしたのだろうか。保育者の誰かがきっと子どもたちの呟きをメモしているはずだから、集会の時に聞いてみようと思う。自分たちで考えたものを、仲間と同じ目標をもって一心不乱になってやり通すということは素晴らしいことだ。拍手を送ってやりたい。

  

2020年11月9日月曜日

幼小連携ということ

  幼小連携というのは10年も前に言われていたことだが、どのように手を付けてよいのかわからなかった。文科省の上意下達のようなもので出来上がるけれど、もともとの発端は小学校へ上がったばかりの新1年生が、落ち着きがなく集中力がなく学級崩壊に近い状態が続いたということから始まった。それは幼少共に学校理解や幼稚園理解が足らないのではないかという漠然とした結論しか出てこなかった。中には一方的に幼稚園での自由保育が原因だなどという根拠にもならないことを言っていた教育評論家もいた。それは発達理解を正しく認識していない所業であると今なら堂々と言える。その当時も、保育でいう「自由」を分かっていないと憤慨していたものであった。「自由保育」は当時ではとてもマイナーな保育形態であって、あおば台では「自由保育」とは言っていなかったし、多くの人たちが「自由保育」を理解できないでいた時代だ。 

 そんないわくつきの幼小連携のプログラムが、土浦市の教育委員会の手によって立ち上げられることになった。教育委員会の二人の校長経験者が中心となって模索していたところである。幼稚園側としての窓口が私であるけれども、どの辺から始めたらいいのか見当がつかなかったが、二人の校長経験者のインテリジェンスに委ねて、スタートカリキュラムだかアプローチカリキュラムらしきものができる運びとなった。

 当園では12月5日に初等学部で、初等学部の1年生から4年生までの生徒主導による幼小交流を行った。幼稚園の人数が多くて小学生はまとめるのに大変だろうと思っていたが、それは単なる危惧に終わってみんなで楽しくできた。幼稚園の子どもたちは、小学校のお姉さんやお兄さんの話をよく聞いてニコニコしていてとても楽しそうな笑顔を見せていたし、小学校の児童はとても礼儀正しく、驚くほど好印象であった。食事をしてみんなで外へ出て遊びだすと、小学校児童が造った滑り台がとても人気があって、その周りには長蛇の列と一重二重の群れができた。初等学部は最近行かなくなってしまったが、久しぶりに行っても、子どもたちは礼儀正しいし、何よりものびのびしていて子どもたちが子どもらしくしているとても素晴らしい学校だとしみじみと思った。本当はだれでも行きたくなるような学校だと思うけれども、まったく当てのない受験に捉われている家庭には不人気だ。今を幸せに生きられなくては将来も幸せにはなりにくいだろう。

 アメリカではトランプが負けた。どちらも傷だらけの戦いになってしまったが、トランプ氏もバイデン氏も醜聞が絶えなかった。日本ではここまではやらないだろうというのがある。アメリカの大統領は世界の大統領みたいなものだから、トランプ氏も往生際が悪い。往生際の悪いのは日本も同じだ。自民党が担ぎ出した参議院の夫婦も買収で逮捕されていながら、歳費を受け取っている。次に立候補してもほとんど返り咲くことはないだろうが、自分からは辞めない。議員は自分から辞めないなら、IR汚職を含めて逮捕された時点でいったん議員辞職をして次に審判を受けたらいい。日本学術会議など国民的疑問でないことに時間を使わないで、このことをはっきりさせた方が国民の意思に沿うことになるだろう。議員は法律を盾に仲間には非常に甘い。まるで自分を弁護しているようだ。佐川という官僚のこともこれで決着などとあまりにも国民をなめてやしないか。

 





 

2020年11月4日水曜日

アメリカ大統領選

  日本のマスコミやアメリカの予想はバイデンガ圧倒的であるけれども、前回の民主党のヒラリーとの戦いでは最後にトランプの勝利が確定された。今回の下馬評でも民主党のバイデンが有利であるけれども、ある情報によると「バイデンは絶対勝てない」と言っている人がいる。それは副大統領の時にえげつないことをして利益を家族で分配したという噂があるからだという。彼は米国に住みスタンフォード大学の教授であるから、かなりの信ぴょう性がある。彼らの汚職は日本の汚職よりも数倍の金額が動くから、まったく桁違いと言っていい。トランプも金持ちだけど、政治権力の中で賄賂のようなものを集めたわけではないから、金持ちでも質が違う。

 アメリカ大統領に誰がなるのかは興味津々というところだ。トランプの強引な手法が気に入らないという人が多いけれども、トランプでなければ今の中国のやり方に対応できる人はいないように思う。日本は外交が弱いということではなく国としての力がないのだから、トランプにすがるしかない。拉致問題を解決できる政治家はいない。「やります」と言ってもやれない。力がないからだ。中国が尖閣列島周辺で日本の漁船を追い回していても、日本の経済水域にきて魚を獲っても何も言えない。「遺憾の意を伝える」と言ってばかりでは相手は痛くも痒くもない。とにかく無法者相手には武力で威嚇する以外にないけれども、日本の警備艇に積んであるのは水圧銃と言って、水鉄砲である。相手は重装備の警備艇だというのに。これは日本の政治が悪い。国を守る気概が感じられない。日本の漁民をどのようにして守るのだ。うまい寿司も食えなくなるだろうが。と思うとトランプが勝たなければだめだ。

 日本は今や政治も経済も三流であることを自覚しなければならないだろう。だから気取って国連に拠出金など出さない方がよいし、敵国条項を無くしてもらわなければならない。国連が拉致問題を解決する方向へ向いたことがない。国連が中国の領土拡大について、間に入って止めようとした素振りも見たことがない。あまりにも国連を重要視しすぎるのではないか。あまりにも役に立たない国連貴族を養っているだけだ。


2020年10月30日金曜日

幼児教育が変わった

  今まで幼稚園教育要領とか発達心理とか、幼稚園の役割について真剣に議論してきた仲間たちが、少しずつ減っていっているような気がする。特に厳しい経営をしてきた仲間たちが離れていっている。幼稚園を辞めてしまったというわけではない。平成27年に施行された認定こども園が羽振りを利かせている。

 認定こども園には、幼稚園型と保育所型と幼保連携型と地方の行政が行う地方型という4つの形がある。幼稚園型というのは当園の様に幼稚園主体の保育形態を言い、保育所型は保育所主体で幼保連携というのは、主体が半分ずつだからどうなっているのか、はっきりとはわからない。しかしこの方法を採用した幼稚園が多い。

 なぜ幼稚園型認定こども園を選んで現在に至っているのかというと、当初県の説明では、幼稚園に足らないところを補っていくので、子どもにとってはとても良い存在になる。ということだったけれども、実はそうではなく、子どもにとってというよりは働く親にとってとても都合がよくなるというものだ。それではだめだと言っているわけではないが、子どもたちが置き去りにされて、行政が一方的に強行した結果である。幼稚園を辞めてほとんど保育所に傾倒しているやり方である。

  保育所に限りなく知被けていけば補助金もそれなりに出すということだから、経営にあえいでいた仲間たちは、保育所のような保育システムに変更を余儀なくされてしまった。一応「子ども子育て会議」などと銘打って専門家会議のようにここから答申が出されるというようなものであったけれども、実は選ばれた学者はみんな御用学者で、最初に官僚が作った作文を審議と称して時間をかけてやっているように見えるけれども、子どもたちの立場で考えて決定されるということはない。その証拠に子供の保育時間を決定するときに、幼稚園連合会から出向した東京の北條委員は「大人の労働時間は法律で8時間と決められているから、その前後で考えていただければよろしいのではないか」という意見を出したが、すでに官僚の作文には11時間をめどに決めるようにというものがあった。

 あまりにもひどすぎやしないか。そのくせ「三つ子の魂」だの、「未来の子どもたちの資産を我々が食いつぶそうとしている。」などの言葉はよく知っているようだ。この座長をしていた教授は私もよく知っているが、大学で発達心理や保育学を教えている。どんなことを学生に伝えているのか、耳をふさいで聞く気にもならない。正義がないのは政治の世界ばかりではない。国全体が金もうけに走っている。これが一概に悪いことだとは言わないが、度が過ぎてやしないか。

 学術会議などやめたほうがいい。内容はよくわからないけれど、発言者の態度などを見ていると、自分たちが絶対だみたいな恐れを知らない不遜な態度である。あのメンバーが仮にいなくなっても日本は何か困ることでもあるのか。

2020年10月28日水曜日

ちょっと先に進んだ

  秋雨前線と台風に見舞われて運動会が2週連続で延期となり、いささかうんざりしてしまった。それでも子どもたちは不満も言わず、運動会をひたすら待っている姿は全く健気である。幼稚園で大人気のプレイバルーンは、年中さんや年少さんのあこがれの的で、それを演ずる年長さんはとても誇らしげである。一糸乱れずというところまではいかないけれど、頼もしげに堂々としている姿がとてもいい。

 年中さんの出し物はその年の担任の創作であるから、毎年同じものが出されるというのはまずない。試行錯誤で大変な思いをして出来上がっていくけれども、大変な思いをした分だけ出来上がった時には教師たちの思いは感無量というところであろうか。年長の挑戦を眺めながら、自分たちも早くやりたいという気持ちが高ぶって跳び箱を跳ぶまねをしたりするときもある。

 年少さんの運動会は、家族の人たちに「元気でいるよー」というところを見せるというとても単純なものであるけれども、年少さんは年中の運動会を見た後だけに「やりたい!」という思いはひとしおで、何をしてもフライングばかりである。でも動いているだけでかわいいものだから、ケガさえしなければ良しとする。

 昨日は素晴らしい晴れ間の中でサバイバルを行うことができた。私はもっぱら昼食のための火の番をしていた。食事は讃岐うどんだけれど、子どもたちは一様に「おいしい おいしい」と言って食べてくれた。中には「帰ったらママに言って作ってもらう」という子もいたくらいだ。わき道にそれてしまったが、サバイバルだから少しぐらい辛いことがあってもそれを乗り越えることがなければなるまいということで、グループでのミッションをなし終えた後は500㍍ぐらいの駆け足をすることになった。初等学部は広いので駆け足しながら「まだある まだある」と言いながら走っている子もいた。広々としたところで楽しい一日を過ごすことができた。

 日本学術会議ってなんだ。6人の人が任命されなかったことでその理由を総理にただしているようだけれど、総理が任命権者ならばそれが結果として受け取らなければなるまい。その理由を言えなどとは一国の総理に対してはなはだ失礼ではないか。大臣任命などもその理由を言わなければならないのか。総理が気に入らなければ任命されないのは当たり前のこと。学術会議は何様だと思っているのか。何が学問の自由を奪われるだ。もともとなかった諮問機関だから、元に戻せばよいことだ。

 私はそんなことよりも公文書の改ざん問題の方があまりにもひどすぎるのではないかと思っている。改ざんされたということが真実ならばそのほうが国家としての歴史をゆがめてしまうことなので与野党を問わず、メディアの方々ももう少し力を込めて追及してほしいと思っている。国の正義が問われているのだ。公文書改ざんを指示した佐川こそ国賊で、普通に糾弾しなければならないのにいったいこれはどうなっているのだ。日本政府とマスコミは?。

2020年10月5日月曜日

幼稚園の役割

  幼稚園に限ったことではないが、幼児施設というのは、幼児の将来を見据えて日々の園生活というのがあるべきで、単にある一定の時間安全に無事に過ごせればよいという施設ではあるまい。だから幼稚園は教育基本法第1条に「学校とは」というところで最初に出てくるのが幼稚園だ。保育所というのは、保育に欠ける子どもたちを安全に預かるところで、幼稚園教育要領のようなものはない。

 しかし安全面で幼稚園と保育所とを比べてみると、幼稚園の方が数段事故が少ない。同じような幼児施設でありながらなぜだろうと思って、毎日の子どもとの接する保育内容を調べてみると、なんといっても大きいのは乳児を扱っている保育所は危険がいっぱいである。なぜゼロⅠ(ぜろいち)から親元から手放さなければならないのか。この前も書いたけれども、ゼロ1を持っている保護者には、全家庭に保育所や幼稚園に給付している補助金を支給するべきだ。そうすれば多少なりとも助かるだろうし、事故も軽減される。そのことによって、GDPが減るということもない。

 私がここで騒いでも何にも変わらないけれど、これを拒んでいるのは保育学会か、保育園連合会かのどちらかであろう。ゼロⅠの補助金がなくなると困るのは保育所なのか認定こども園なのか定かではないけれど、著しく困るということはあるまい。子どもの発達にもそのほうが良い。ルソ-はその書エミ-ルの中で「3歳までは神の子」と言っている。数えの3歳だから実は満2歳である。

 幼稚園や保育所はサービス業だと言っている人がいる。だからお客さんが望むようなサービスをしてあげるべきであると、同じ仲間からもそのような囁きを聞いたことがある。私は幼稚園の園長として、我々は我々の使命を全うしなければならないと考えている。決してサービス業なんかではなく、幼児を幸せに導く使命がある。そのためには誰よりもよく学び保護者に対して、より良い子どもとの接し方を伝えなければならないと思う。時には言いにくいことも言わなければならないし、これが私たちの使命だ。

2020年10月3日土曜日

子どもたちの世界

  私たちの社会は、これから育ってくる子どもたちから借金をして使い込んでいる。自然環境から得る熱資源(エネルギ-)は勿論のこと、人の心の財産である風光明媚な癒しなどを含めて、今考えられるすべての正の財産は子どもたちのものであるし、子孫のものである。いわば子どもたちのための社会を作り上げなければならないのに、目先のことにばかり労力を費やしている気がしてならない。

 例えば幼児教育のシステムにしても、もう少し知恵を絞って入り込んだ政策が必要だろうと思う。このところ母親たちが社会に出て働くことが多くなった。母親が働くことが、社会通念上当たり前のように見えるような社会になりつつあることも確かな現象だ。女性が世に出て働くことが美徳の様で、家庭にこもって子育てだけに専念するのは社会悪のような風潮でもある。女性が家にこもって子育てだけに専念するなんてことは決してできることではない。大変な炊事洗濯というようなこともある。そのような苦痛から逃れるために、ソ連共産党(レーニン・スタ-リン)は男女同権という言葉を編み出したくらいだ。何のことはない女性を炊事洗濯からの解放である。大地主の小作人からの搾取と共に、それが解放運動の走りとなったことは言うまでもない。

 しかし、日本での女性解放は外に出て働くことである。これは外に出て働くことで収入を得、消費を拡大させGDPを拡大させるという目論見があるからだ。しかしそのことでみんなの暮らしはよくなったのかというと、答えはNOであろう。社会不安の方が大きいからみんな収入は貯蓄に回ってしまって、金の動きが止まってしまった。そこへきてコロナ騒動だから泣きっ面に蜂である。「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」現象である。金ばかりを追いかけても幸せなんか簡単につかめるものではあるまい。

 話を戻すと、女性が働いていただける賃金はいくらぐらいだろうか。週休二日で最低賃金より多少多くもらっても、所得税やら社会保険などを引かれたら手元に残るのはいくばくかの雀の涙ぐらいである。幼稚園や保育所に子どもを預けるとゼロⅠ(ゼロ歳から1歳)で、幼稚園や保育所に入るお金は20万円を下らない。それならば税金のかからない育児補助としてゼロⅠを持つ家庭にはその分だけ支払ったらいいと思う。家庭で子育てするのは生産性がないとでも言いたいのだろうか。何度でもいうけれども私たちは未来の子どもたちから無償で借金をしているのだ。あまりにも子どもたちに対して優しくないではないか。

 幼稚園では運動会本番のまねっこをして、久しぶりに腹の底から大声を出したり笑ったりする子どもの輝いた顔を見た。躍動する子どもたちの体と心は、側で見ているだけで清々しい気分になる。「よし、今日は思い切り運動会のまねっこをしよう」というと、一斉に歓声が上がり、子どもたちの目が痛いほど輝いて見えた。コロナなど忘れて楽しい日を過ごした。やはり幼稚園はこうでなければならないと思う。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...